音楽のない時 を歩き回る
浜であれ 街であれ 聞こえる音はある
意図されないものが 聞こえると言われ
私は それを受け容れる
運命と運命との 僅かなる隙間にいるようで
経た過去も これからの未来も
肥沃な素材として 頭に引っ掛かる
そして自分が 少しずつ成長したとか
少しずつ変化したとか 考え出す
古いものを手に入れることと
新しいものを手に入れることとが
どう違うのか 惑う 惑う 必要なものなら
退いたり 進んだりはしまい
今や人は 何ものも上に戴かず
何ものも下に従えない 本当なのか
私が今いる場所 今いる時間 にはそう思う
特別な後悔や不安は ないとは言い切れない
でも 運命のさなかに巻き込まれていない 今
この峡でこそ 人の憧れは叶い
大いに驕っても そよ風の静かな音のように
聞かれ あらゆる意味で許されているだろう
yasunaさん、こんばんは。 お疲れ様です。
久しぶりに、月と詩人で、yasunaさんの詩を読めて嬉しいです! 最近、忙しかったり、しんどかったりで、ビーレビへ読みに行けてなくて... ここで、みんなの詩を読んで楽しんでるだけで、かなりいっぱいいっぱいな自分です😣
今日は、詩の感想っぽくない書き方をしよう思います。 つまらなかったら、ほったらかしておいてくださいね! これまで、yasunaさんの、いろんなスタイルの詩に出会えました。 どれもyasunaさんの詩であるのに、毎回変化に富んだ書き方をされ、自分は謎解きの迷路にはまったり、懐かしい風景を見たり、人間関係の複雑に触れたりと... ああ、こういうのが現代詩なのかって、yasunaさんの詩からたくさん、おしえてもらっているんです。
私は、yasunaさんは、哲学の人、哲学青年、哲学の詩人だと思っています。
『峡』を読んで、改めてそう確信したので、これだけは、yasunaさんに言っておきたかったので、 こんなコメントになってしまいました。。!
YUMENOKENZI