彼は生きると同時に死んでいた。
むしろ死にながら生きていたのかもしれない。
彼は孤独でありながら多くの交流を楽しんでいた。
目覚めながら同時に眠ってもいた。
むしろ眠りながら目覚めていたのかもしれない。
家族は彼が起きているところを見たことがなかった。
また彼が仕事をしない日も見なかった。
彼は非常に年をとっていた。
それと同時に非常に若かった。
ある人は彼は成熟していると言った。
ある人は彼は精力的だと言った。
彼は言った。
生きることと死ぬことは、同じひとつのことである。
眠ることと目覚めることも同じひとつのことである。
年をとることと若くあることも同じひとつのことである。
そこに差異を想像するのは常に人間の課題である。
存在しないものを想像し続けて語りついでいるに過ぎない、と。
そして彼はいつまでもただ存在し続けた。
生きると死
孤独と交流
眠りと目覚め
「そして彼はいつまでもただ存在し続けた。」
人間だれしも「存在と差異」に翻弄される事ってあると思うのです。
UUXも何回もあります。そんな中で作者の詩を拝読させて頂きUUXなりに感じた事は
相違(一定の基準をもとにして複数の事物をくらべる)...をもって「差異」(複数のものを相互にくらべたときの異なる部分)を表現された作者の心の揺らぎのようなものを感じました。その中で、家族ではなく作者ご自身の存在を再確認された事。それは作者の生き抜こうとする意志表示でもあるように感じました。素敵な詩だと思いました。。
導管さん。
核心的なコメントをありがとうございます。
この作品は、どちらかというと、東洋の思想をベースに書いてみました。
純粋に存在している現実を、人間は理性で分別しようとするものの、人間による分別に構わず現実は現実としてただ在る、というように読み取りました。
この詩が思索でできたものなのか、あるいは、もっと感覚的に実感されていることが詩になったのか、気になります。
雪影さん。
読んでいただきありがとうございます。
そうですね。
想像することは人間の課題であると同時に特権というのは、まさにそのとおりだと思います。
私の文章をきっかけに考察していただけて嬉しいです。
相反する事が、一つの輪の中に有ると感じさせられました。
存在しないものを想像するのが人間の課題なら
存在しないものを想像出来るのが人間の特権
存在しないもの中では人間も存在しない様に思えました。
私は、私の中で存在し続けようと思います。
ゆめのさん。
コメントありがとうございます。
私の作品をきっかけに、いろんなことに考えを巡らせていただけたら、これ以上素晴らしいことはありません。
けいとさん 詩をありがとうございます!
哲学を謳ったのでしょうか。
タイトルも、詩も、理解しようとすると、私には難しかったです。
ただ、作者が言わんとする何かを、少しでも感じたいと思いました。
存在とは、人間の生命そのものであり、一人の人の命は、死ねば無くなって消えてしまうものではない。 死は、また次に生まれるための眠りのようなもの。
地球それ自体が、朝と夜を繰り返していくように、生物もまた、目覚めては眠るということを繰り返しながら、やがて死を迎えて眠り、そうしてまたその姿で生まれて来る....
こちらの詩は、生命が連続しているということを、私たちに教えてくれているのでしょうか。
じゃあ、私はこれを知ってどうしようか?
物事の本質を、そうなのか! と、ただ肚を決めて受け止めることしか、私にはできない。
私という存在は、他の誰でもない、私自身が認めているから。
この地球とともに生きて、この世界で生きた証を、我が生命に刻み付けて生きていこう、終わりまで。
事象はそれを捉える人によって多様に変化する、まるでシュレーディンガーの猫のようですね。
とても興味深く読ませていただきました、、私自身このパラドックス的事柄をうまく理解できていませんので、とても興味深くとしか書けません、ごめんなさいね。