大人になるということ
過ぎ去る年は子供の何倍も早くて
淡白な日々にふとはっとする
美味しいものを食べない限り、心はそう動かなくなっていた
ただただ腹を満たすだけの退屈な作業
子供の頃にあった小さな幸せは一体どこへ行ってしまったのだろう
プレートの上に載った小さな水滴
カラースプレーの中に見つけた好きな色
端っこに寄せておいたダイス状の人参
最後に残しておいたヘタ付きの苺
きらきらと輝いているグラスの中の氷
小さな水滴は蒸発し、
カラースプレーは色褪せて、
人参は真顔で喉を通り、
苺はヘタだけ残し、
氷はとけて水になった
子供の頃にあった小さな幸せは時に食べられてしまったのだった
それが「大人になること」だと知っていても、
どうしようもなく悲しい
まだ悲しいって思っていたい
下手ながら、この詩とセットとなるように描いたイラストを添えさせていただきます。
はづきさん、こんにちは。
しみじみ考えさせられ、また、あなたの思いにすごく共感しています!
私がこの詩を素晴らしく思うのは、
「それが「大人になること」だと知っていても、
どうしようもなく悲しい
まだ悲しいって思っていたい」
あなたの、この言葉に尽きるのではないかと。
それが、ものを書く人、ものを創造するに人にとって、不可欠な感情であると、私はそう信じています。
添えられたイラスト絵が、また可愛く素敵ですね! これからも、はづきさんの作品を楽しみにしています✨
YUMENOKENZI
はじめまして。田代ひなのと申します。
作品を拝読させて頂きました(・∀・)
全体的に読んで、子供の頃の小さな出来事を恋しく思う主人公の心情が感じられました。
また、「端に寄せておいた人参」と「人参は真顔で喉を通る」といった表現で、大人になると、苦手なものも平気になってくる成長の部分と、大人になるまでの時間の流れをうまく表現しているのかな感じました。
確かに大人になると人参やキャベツは平気になります。大人になって子供のころの輝きが失われるところもありますが、あらたな輝きが見つかるのですよ。例えば、イラストのようなかわいらしい子供が人参をだんだん食べられるように成長するところを見れるのです。大人と子供の境界のころが一番悩みが多いのかな。