公園の風に
子どもたちが落書きをしている
落書きは異国の文字みたいに
すぐに形を崩し
消えてしまう
ぼくはすぐ近くで
地図にも載っていないような
小さな紙を
呟きよりもさらに小さく
破り捨てている
宝くじが当たったんだよ
父はそう言い残して
車椅子のまま
母とぼくと犬を置いて
家を出ていった
母は新種の虹を探しに
ぼくと犬を置いて
家を出ていった
犬はぼくを置いて
家を出ていった
落書きに飽きた子どもたちが
滑り台の階段を上っていく
どこまでも上っていく
危ないから早く滑っておいで
そんな言葉が喉まで出かかったのに
喉がどこにあるのか
むかしから見つからない
たけだたもつさん、こんばんは。
子どもたちが、自由奔放に遊ぶ姿と、"ぼく"をとりまく家族という名の、大人たちの自由 ( 勝手な ) とは、どう違うのだろうかと、そんなことを考えてしまいました。
それぞれの夢を追うのと引き換えに、犠牲にしたものがあったことを、彼ら大人たちはいつの日か知るのでしょうか。 第三、四、五連での、置き去りにされた、"ぼく"の寂しさに胸が痛みます。
やがて大人になった "ぼく" が、子どもたちの可能性を、極めて粘り強く、あたたかく見守る人に成長したように思え、非常に心打たれるのでした。
ゆめの