人はひとりでは生きられない。
そんな悲しい宿命を、古代の賢人たちは2000年以上も前から見抜いていた。
人はひとりでは生きられない。
そのために孤独から逃れようとする。
孤独から逃れるために、ある者は酒を飲み、ある者は夜の街に向かい、ある者は自発的に権力に従う。
社会では人々が孤独にならないように交換のシステムが成立した。
けれども孤独はどれだけ遠くに逃げてもどこまでも追ってくる。
人が孤独から解放される日は永遠に来ないかのように思えた。
改革者が現れた。
彼は隣にいる人を愛せと教えた。
愛してもらうよりもまず自分が愛することを教えた。
けれどもこれこそが孤独の処方箋であることに、多くの人は気づかなかった。
やがて彼は処刑され、彼の教えの意味も忘れ去られた。
同じ歴史は繰り返され、人は現在でも孤独を克服することができてはいないのだった。
お返事遅くなりました。
そうです。
もちろん私が言った言葉でありませんが、「受け取るのではなく与えること」により孤独から解放されると思います。
これこそが「愛」呼ぶべきものです。
けいとさん、
おはようございます。
孤独から解放される術は隣にいる人を愛せ。まずは、自分から相手を愛すること。聞いていて懐かしいと思いました。
もし、それを継続していくことができたなら、全ての人は孤独から解放されるのかもしれませんね。
私の作品をお読みいただき、それについて考察してもらえて嬉しいです。
けいと さま。
はじめまして。よろしくお願いいたします。
孤独に日々悩まされている僕には刺さる詩でした。
孤独は2000年も前から普遍的なものですよ、と言われつつ、
現状も変わりはないですよ、と突き放され…。
(た、ように感じましたが、私も同じですよ、と言われている気がしました)
でも、僕は思うのです。
人は、一人で生きているわけではない、と。
コンビニやスーパーに行けば、店員さんがいます。その人たちがレジ打ちしてくれるから、
僕らは商品を買えるわけです。そこに店員さんという他人がいなければ、成り立たないのです。
何の言葉も交わさないかもしれないけど、他人がいなければ、ものを買うことはできないのです。
(この際、無人レジは置いておきます笑)
髪を切るにしたって、美容院に行って、専門家である美容師さんに切ってもらわなければ、いけないわけです。
服を買うのは、今、ユニクロなんかは、無人レジですけどね。でも、管理する「人」という存在がいなければ、できないことなんですよね。
孤独だ、って僕も思いながら生活しています。友達も連絡をくれるわけでもない、SNSもやっていない、家族とコミュニケーションをとるわけでもない、ああ、ひとりだ!って思います。
でもね、人は独りで生きているわけではないんですよね。何度も言いますけど。
少しくらいさみしさを感じるくらいが、ちょうどいいのかもしれません。
僕は、紛らわせるために、そう思うようにしました。
自室でひとりで何をするか、とか、何でもできるじゃん、とか。
適度に他人と関わりながら、ひとりを満喫すればいいじゃん、と。
ポジティブに考えるようにしました。
年齢が重なるにつれ、友人関係も希薄になり、
(母などを見ていると、ある一定の年齢になるとまた濃くなるみたいですが)
孤独の寂しさを紛らわせる手段を、手探りながら、こういう場に求めたりしている次第です。
少なくともこの「月と詩人」では「詩を書く」というとっかかりがあるわけですから、
コミュニケーションがとりやすいです。
長々書いてしまいましたが、そして感想になっているのかわかりませんが、
ちょっと思うところを書いてみました。お目汚し失礼しました。
私の作品を読んでいただきありがとうございます。
ご指摘の通り、孤独と言う言葉と重層的な意味になっていますね。
孤独と孤立との使い分けも必要ですね。
問題意識を共有できて嬉しいです。
けいとさんへ
「人は現在でも孤独を克服することができてはいないのだった」
この結詞についての私考として、社会で一般的に使われている「孤独」という言葉は、解釈も多様で、言葉の吟味が充分なされないまま状況に合うよう本来の意味を持たずして使われ、さらに言葉のインパクトが強いため、結果として「孤独」だけが独り歩きしてしまう危険性を孕んでいると思われますが、いかがでしょうか。
「孤独はどれだけ遠くに逃げてもどこまでも追ってくる」
拒否する苦しみ、受容する安らぎ、そのことを示唆していますね。私も体験しました。・・いや、拒否95%、受容5%くらいの割合で体験中、ですね、いくつになっても。
忘れてはいけない問題を提起する一篇の詩。
風刺的であり、攻撃的であり、優しく、温かい文章ですね。
孤独を克服、すべきではないと、私は考えます。
しかし、同じ歴史が繰り返される中でも、少なからず貴方には、彼の想いが伝わっているのだと思います。言葉の表面とは裏腹に、私にとってなんとなく人類の希望を思わせる詩でした。
この詩に出会えて、光栄でした。