風が私には囁かないとか
小鳥のさえずりに混じれないとか
波が私の足を連れ去ろうとするとか
そんな些細なことじゃなくて、
靴の片っぽが渦潮に呑まれたとか
素足で真夏のアスファルトを踏むとか
赤い耳に雪が降り積むとか
そういう苦しみ。
靴の片方の代わりはないし
アスファルトの道は絶えないし
イヤーマフは売っていない。
そういう虚しさ。
苦しみの核に手が届きそうなのに
苦しみに中に手をつっこむたび
わずかな水圧で少し、また少し核が遠のく。
そういうもどかしさ。
そしてなにより
諦めた手にまとわりつくように残る
苦しみの感触。
そういう気持ち悪さ。
あわねさん
苦しさの中で、
それが、どんなものか、 自分自身と、誰かが、なんとかわかるように喩えて あなたは、こうして、がんばって、 詩の言葉に書いておいてくれたんだね もしもどこかで、誰かが、苦しみの沼から手を伸ばしていたら
あなたの詩が、その手をぎゅっと握ってくれる、そんな気がするんだよ。
感想、うまくまとまらん。。。 あわねさん、げんきですか?
初めまして、はづきあわねさん
苦沼を読ませ貰いました。
先にYUMENOKENZIが書かれているコメントを読んで
この作品を読んで感じてる靄みたいな感覚が晴れた気がしました。
自分は、作者が沼の外に居て
苦沼の底?沼の中かな…そこに苦しみの原因~核の存在を確信しながらも
池の水でなく沼の泥的な重い圧が手を進ませない
最後のフレーズで
水でない泥のヌメヌメした気持ちの悪い感触が
作品の初めの部分での日常的描写へと
引きずり戻される感覚が独的で好きです。
自分では苦しみの原因が解っているのに手が届かない
もどかしさに心を靄つかせてるのって自分だけ?
そんな気持ちを思い起こさせる作品だと感じました。
長々と下手なコメントをすみません><;