坊や アタイのこと 好きなのかい?
や だって さっきからずーっと
見てるじゃァないか
鏡玉越しでね 気づいてないと思ったかい
ひひ それもそうか アタイ綺麗だもんねェ
でも残念な知らせじゃ
アンタみたいな緑豆に 興味はないよ
アタイは 安売り品じゃァないのさ
それにほら アタイの体も濁ってきちまった
どんどん黒に染まってきちまってる
もう長くは持たんね
さァ 早く帰った 帰った
ん 坊や
なんだいそれ 撮影機って奴じゃァ………
勝手にしろ ほれ 一枚撮るがいい
満足したか ふ それは重畳
見ろ 煙管の煙も 濃くなってきてるじゃろ
緑豆餓鬼は帰れ ってこったァ
また 来ればいい その日を待ってやるよ
こんにちは。
この詩の主題を何度も読み返して探していたんですが、ゆめのさんのコメントでヒントを得て私なりにこんな結論になりました。
たぶん踊り子か娼婦の女は、この若いカメラ小僧に、性的な覗きの趣味ではなく、ちゃんとした美しい写真が撮れるようになったらまたおいで、と諭してるのではないか。
そして自分がその世界に随分と染まっているのを自覚している、それゆえのあの様な汚い言葉になっているのだろう、と言う事でした。
読み手の自由と言う事で、勝手な想像をお許しくださいね、私には重い詩でした。
松上桂矢さん おはようございます
詩拝読させて頂きました。
詩の中に出てくるアタイ、アンタ、緑豆、坊や
そんな言葉の端々からある程度になる女性とまだ二十歳にならない若い男の子との間で交わされた会話の最後に
「見ろ 煙管の煙も 濃くなってきてるじゃろ
緑豆餓鬼は帰れ ってこったァ
また 来ればいい その日を待ってやるよ」
という言葉でつづられた中にその時の風景情緒と彼を思いやる優しさとそして彼がたちさっていくのを見送る彼女の影がどこか寂しくも感じられた作品でした。
そしてこのあと彼女は又娼婦として?働くのでしょうか?
そしてこの作品から生きていく事の難しさのようなものも感じられてちょっと切ない気持にもなりました。
松上桂矢さんへ
(マイ インプレッション)
ぴいぴんぐ とむ ( Peeping Tom ) ...
小説の中の、ある娼婦の生き様を彷彿とさせるような物語でした!
全編が、主人公の語りかけの言葉たちだ ...
彼女は、擦り切れて、疲れかけ始めた体から、一人の少年に向かって投げかけた、その声に、「アタイ」のプライドと、命のかぎりを振り絞ったのだ!
「アタイ」は、性に興味を抱き始める頃の、未だ大人でない魂を、やさしく抱きしめたかった!
守りたかった!
そう思えば思うほど、彼女の言葉は汚くなり、少年を遠ざけていった。
もう昔の頃のような恋に戻ることがない、この女性の中に私は、母性愛と、そして言いようのない寂しさを垣間見た気がしました!
ゆめの