とんぼが空を無数に飛んでいました少し気持ち悪い光景に感じる私は嘲笑うようにとんぼの終幕を想像したあと数週間もしたら全て地に落ちてタイヤと足に潰されるのでしょう私はとんぼと同じようには飛ばない私はとんぼと同じように落ちたりしないけれどそれは優越感ではない劣等感ほら、あのとんぼ達嬉しそう笑いながら涙を流す目的もなく坦々と過ぎていく毎日口だけの理想で頭と心に膿みが溜まるだけまだ出来ることをしていない私はとんぼに敵わないほら、あのとんぼ空の上の方へ飛んでいる
「私はとんぼと同じようには
飛ばない
私はとんぼと同じように
落ちたりしない」
抜粋させて頂きました所は私の大好きな詩金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」の一節のようにも感じました。
「まだ出来ることをしていない私は
とんぼに敵わない」
でもいつかきっとトンボとは違ってもトンボのようにもっといろいろな事ができるようになるよ…そんな意味が含まれている作者の前向きな希望が感じられた素敵な詩だと思いました。
トンボを見て秋だな、街中にもトンボが居るんだと思う私と違って
Sakuranさんは自分と比較して考えたんですね。
でも無数にトンボが飛んでいるのを見たら私も気持ち悪いと感じたと思います。
坦々と過行く日々が本当の幸せなんだと聞く事が有りますよね。
空気の様な当たり前の存在の価値観に鈍感に成っている居るんだと、理屈で理解出来ても納得出来ない日々の中で、自分に出来る事をやり、理想に向かって着実に進んでいる人はどれくら居るのかなと思いました。
トンボも無数に居るのは、多くのトンボがやるべき事を出来ずに死を迎えるからじゃないかと思いました。
作品の最後の二行で、Sakuranさんが空を見上げてる感じが伝わって来て凄く前向きな気持ちに成れました。色々と考えさせられ勇気づけられる素敵な作品だと思いました。
おはようございます。
無数に飛んでいる蜻蛉、アキアカネかな、蜻蛉の多くは成虫で越冬しないから落ちてつぶされますね、 それが定めと言えばそれまでですが、蜻蛉好きな私はちょっと寂しいですね。
蜻蛉には蜻蛉の、花には花の、それぞれの生き方があるから、私たちは私たちの生き方を見つけ、精いっぱい今という空を飛びたいですね。
すぐに消え去る存在に「劣等感」を感じるのに共感しました。
この前オニヤンマを見ました。
大きくて堂々として見えました。
向かってきたので逃げました。
目的を持ってそれに向かって行かなくちゃ
なんだかこの詩を読んでそう思いました。
ありがとうございます。
Sakuranさん、こんにちは。
自分の生を全うしきれないもどかしさを感じましたし、
いつか終わるのだから、やることに意味がないのではないかと思う自分を意識させられました。
少なくとも、お互いに詩を書くことは出来ると思っています。