過去は鋼鉄の扉で閉ざそう。
鍵は粉砕して大地の奥深くへ埋めよう。
過去はすべてまやかしなのだから。
閉ざした扉の向こうで静かに朽ち果てていくだけだ。
未来は雲の遥か上にある。
太陽の光も届かない場所にある。
蜃気楼のように形を変え、私たちを誘う幻影だ。
けれども現在に成立している現象は確かなものだろうか?
妄想ではないと誰が言えるだろうか?
僕らは目で見て対象を認識する。
対象そのものと僕が見たものが同じと誰が言えるだろうか?
同時に耳で聞いて対象を認識する。
対象そのものと僕が聞いたものが同じであると誰が言えるだろうか?
現在もまた多くの幻想に基づく水面に過ぎない。
波紋は広がっても、その底には誰も見たことのないものが沈んでいる。
水しぶきの上で僕らは虚像を実像と思い込む。
手を伸ばしてもその像を掴むことはできない。
過去も未来も現在もまた妄想であるとすれば、僕らの人生はフィクションに他ならない。
僕らに残されているのは、どんなフィクションを紡ぐかという厳かな問いだけだ。
不確かで揺らぎやすいものかもしれない。
それでも僕らは物語を紡ぎ続ける。
涙を流す日も、喜びの絶頂の日もすべてが僕らの一部であり続ける。
どんなフィクションにも終わりがある。
物語の最後には本が閉じられる音がある。
僕らの人生もいつかその音とともに終わる。
本が閉じられる前に僕らはどんな物語を紡いだかが問われている。
生きている限り僕らのフィクションは未完のままだ。
フィクションの人物はフィクションの中で成長していく。
フィクションの人物が成長するように僕らもまた僕らの物語を紡ぎ続けよう。
永遠に未完のまま、星のように夜空に浮かぶだろう。
誰かの手によって新たに読まれる日を静かに待っている。
その瞬間、読んだ誰かの物語もまた始まる。
けいとさん、こんばんは。
作者が、問いと答えを繰り返す中で、深く思索を重ね、そうして得たものを昇華させたような、とても神々しい詩だと感じました!
私の考えなのですが ….
私たちの、この生命は、妄想なのでしょうか …
私は、大人になるにつれ、かなり苦しく、痛く、辛い経験がたくさんあり、この痛みが現実なんだ、命が、悲鳴を上げると、痛いけれど、ああ生きてるんだなって実感したものです。
ですから、私には、命が、妄想だと思えないのですが ….
ただ、妄想だと信じることで、大切な心を一時的に避難させてあげることはできるのだと信じています。
この度も、あなたの詩から大切なことを学ばせていただき心から感謝しています。
ゆめの
けいと様、こんばんは。
一人一人に物語があり、皆違うからこそ共感しあったり、分かり合えなかったり。それでも何かしらが自分の物語と繋がって、また新たな物語が続いていく。
結末はまだ分からないけれど、自分にしか書けない物語を書いていきたいと改めて思わせていただきました。
鋼鉄の扉の向こう側に有る過去には戻れなくて、未来は太陽の光も届かない程に遠くて見えない。思い通りに成らない自分のフィクション、永遠の未完成が人生なのかなと思わせる作品だと思いました。
自分の人生だけれど、自分のフィクションに出て来る他の人の人生も未完成ならば、思う様に成らないのも当然かと感じました。でも静かに自分のフィクションを書き終えたいなと思わせる作品でも有りました。
けいとさん こんばんは
UUXの詩にコメント有難うございました。
「生きている限り僕らのフィクションは未完のままだ。」
「誰かの手によって新たに読まれる日を静かに待っている。」
「その瞬間、読んだ誰かの物語もまた始まる。」
完成と未完成についてあらゆる角度から見ていかれた多面性と多角性から考察されている重量感のある詩だと思いました。
こんにちは。
とても壮大なお話ですね、私たちは常に不確かな現実の中で生きています、そして予測のつかない未来に向かって歩いている、この現実を幻想と言うなら私たちの人生そのものが夢なのかもしれません。
そしてあなたが言われるように、その物語は未完成で一刻一刻書き続けられている、でもその中で一つだけ確かな事は、人は生まれた瞬間から終末へのカウントダウンが始まっていると言う事ですね、そしてそれは誰も逃れる事が出来ない。
人はある程度の歳になると、自分のゴールが見えてくり気がします、そして自分の人生がどうであったかも、そのフィニッシュが見えた時、狼狽えず、抗わず静かにエピローグが書ける自分でありたい。
貴方の作品を読んで強くそう思いました、とても深い言葉達だと。