こどもの頃は 見えなかったんだ
国と国が いがみ合う姿を
自分と そのほんの周囲だけが
世界のすべてだったんだ
かっこいいものや きれいなものに
すごく憧れて
弱々しいものや きたなそうなものは
みんなで 嫌ったものだ
これで わかったろうう?
ぼくは 正義感ヅラの悪人だって
わざとじゃないけど
誰かを ひどく傷つけたかもしれない
秋を ひとっ飛びで越えて
冬みたいに寒い
背中が ぞくぞく
震えが 止まらない
無数の人が
風に 水に、大地の、
犠牲になって死んだ...
青年の探し求めていたものは
何んだったのだろう?
あの死は、目的だったのではなく、
何か大切なものを
求め続けた 彼だけの
結果だった
あまりに 次々と降りかかる痛手
ぼくは、その渦中の人たちを
思いやる術を知らない...
何も 出来ない
この祈りは 届くのか...
あまりにも 無益なぼくを
ただ 思い知らされる
争いを争いと捉えるから、辛くなるのだと思います。
それぞれの考え方は、もともと相容れないのですから。
ただそれを話し合いで多少調整していく事は出来るのではないでしょうか?
または、それが難しい様でしたら押したり引いたりするとか。まあ、そんなに簡単に問題が解決するなら、最初から他人という存在は無くなってしまうので仕方がない事もある、と受け入れて微笑みましょう。
争いが無益であったかどうかは、歴史しか証明できないのでしょう。いま争っている人たちには、それは必要なことであるけれども、そのために生まれた多くの悲しみは見えなくなっているのかもしれないですね。世界のどこかでこの悲しみに思いを寄せる人がいるということは無意味ではないと思います。