彼は妻を弔ったあと、古人の語った真理を思い浮かべた。
「死んだ日は生まれた日よりも素晴らしい」と。
墓の前にたたずみながら、ほどなく彼をも待ち受ける運命を思った。
彼はこの世で妻と再会する可能性が0であることを知っていた。
同時に死後に妻と必ず再会できるとも思わなかった。
それを確信するにはあまりにもリアリストだった。
けれどもその可能性が0であるとも思わなかった。
0と比較すればいくらかの可能性に賭けるだけのロマンティシズムをもっていた。
妻と死後の世界で再会することが彼に残された楽しみになっていた。
この世では愛するにも必然的に苦しみがつきものだった。
死後の愛はいかにも純粋らしく思われた。
いかに苦しめ合わずに愛し合うか。
それを実現することは彼にとっての理想だった。
腰が曲がり、歩くことが困難になるたびに、彼は妻のことを思った。
待ち受ける再会をたびたび想像していた。
静寂を越えて再び妻の手に触れる日を楽しみにしていた。
その時にすべての苦しみが終わりを告げると思われた。
ある日、医師が冷酷に余命を告げた。
それを聞いて、彼は静かに微笑んだ。
けいと様、コメント失礼いたします。
重いけれど確かな現実と、その先にある幻かもしれない理想…。時には向かい合わなければいけない瞬間ながらも、希望を残している表現に1種の救いを感じたような気がしました。
同じような想いを表さずとも、心に秘めている方々はきっと多くいらっしゃるのではないでしょうかね…。
クロエさん。
私の作品をご自身と重ね合わせてもらえたようで、作者としては嬉しく思います。
こんにちは、クロエです。
タイトルについてですが、詩の内容から「再開」ではなくて「再会」の変換ミスではないかと、もし別の意図で「再開」とされたのでしたらすみません。
けいとさん おはようございます
この詩を拝読させて頂きました時、UUX達地方の老人会と地域ぐるみの食事会をしたとき、この詩の様な会話をあちこちで耳にして、年を重ねた方たちの楽しそうに話す現実離れした話に耳を傾けた事がありました。
死後の世界はお花畑があってその中でとても平和で穏やかな生活ができるのだろう…
そして先に行かれた愛する人達にも会える…そんな楽しみと希望も…
でしたら私達がいずれ向かう死の世界を怖がることなんてないのだろう…
そして悲しみは死と生の間の川の流れのようなものなのだろう…そんな事を考えながらこの詩を拝読させて頂きました時、この詩の主人公も余命を告げられた時それを静かに受け入れられる事が出来たのではないかと…
この詩を拝読し終えた時なぜか心が穏やかになりました。
おはようございます。
私と同じ思いだ、と思わず何度も読み返しました、ただ一つ違うとすればそれは私の方が先に逝くだろうと思っていることだけ。
死は私から総ての物を奪って行きます、でもその反面私が無くしたものと再会できると私は感じています、先に去った人、そして何より私が育て死んでいったペットたちとの再会が楽しみなんです。
もし妻が私より先に逝く事があれば、多分私は生きる気力を無くすでしょう、そして私が重い病気に罹り治療を諦めかけた時、「あの仔(愛猫クロエ)より先に死んではだめ」と言われ、与えられた時間を精いっぱい生きようと決心しました。
>ある日、医師が冷酷に余命を告げた。
それを聞いて、彼は静かに微笑んだ。
その時私はどんな思いだろう、多分狼狽える事はないだろう、そう感じています。
とても重いテーマだけど、素晴らしい作品だと感じています。