空は青く澄んでいる山は赤く染まっている鳥は歌いながら空を飛ぶみんな自由だペンを持つ手はかじかんでいる何にもとらわれない自由な詩僕の気持ちを縛るものはないさあ詩を書くぞ進まないペン僕はまだ知らない空の向こうにある宇宙も山の中に住む生命も鳥が飛ぶ先にある未来も考える自由って何だろう僕は自由に縛られている
銀バエさん、こんばんは。
自然が美しい、澄んだ空気の中で、何ものにも縛られず、思うままに、詩が書けるはずだった….
でも、「進まないペン」
それは、“自由”という名の一つの形式に囚われているのだと、作者自身が気付いたからでしょうか….
「考える
自由って何だろう
僕は自由に縛られている」と。
詩人が、自分の心の本当を、内側から引き摺り出して言葉に換えた時に初めて、それは誰のものでもない、あなただけの真実の言葉、本当の自由詩と言えるかもしれません。
作者の詩への真摯さを、とても素晴らしく思います。
ゆめの
銀バエ様、コメント失礼致します。
「自由」でありたいのに「その自由に縛られる」。矛盾であるようで、実際にいろんな場面で直面することだと思います。「本当の自由」とは何かとこちらも改めて考えさせていただきました。
銀バエさん こんにちは
自由詩を書くぞ!と意気込んだ作者。
さて…と意気込んだけれども
「進まないペン
僕はまだ知らない
空の向こうにある宇宙も
山の中に住む生命も
鳥が飛ぶ先にある未来も
考える
自由って何だろう」
こんな風に思ってしまった時作者の書こうとしていたぺんが止まってしまった。
これこそが不自由というのでしょうか。