太陽の光を浴びながら、三平方の定理の上で彼が叫ぶ。人は本当に見えるものを見ているのか、と。スカンジナビア半島はゴビ砂漠と混ざり合って、地理上の伝統を塗り替えようとしていた。たとえ史実が歪んでいても、人々は憎み合い、争う。あることは常にないことに等しいと彼は亀裂に生まれた遺骨に呼びかけた。半島の青白い怒りの頂点で呼びかけは膨張して消えていった。墓石に吹き荒れる狂騒のような砂漠を嘆いても、彼に三平方の定理は解けなかった。確かなことは明日も太陽は昇り、そして落ちることだけだった。
けいとさん
おはようございます
一度コメントしましたが、三平方の定理の上というのがこの詩の一番の元ではないかと思い、もう一度読み直して下記のように抜粋しながら考えてみました。
「太陽の光を浴びながら、三平方の定理の上で彼が叫ぶ。
人は本当に見えるものを見ているのか、と。」
人は三平方の定理のようにしっかりとした事実を見ているのか?
「スカンジナビア半島はゴビ砂漠と混ざり合って、地理上の伝統を塗り替えようとしていた。
たとえ史実が歪んでいても、人々は憎み合い、争う。」
人は本当の真実を問う(見る、考える)ことなく自分たちがいいようにするために憎みあい自分たちのいいように変えようとして争いをして、本当の事からずれていっているのではないか?
「あることは常にないことに等しいと彼は亀裂に生まれた遺骨に呼びかけた。
半島の青白い怒りの頂点で呼びかけは膨張して消えていった。」
自分たちが歩みよるのではなく、ただ大声で叫び争いゆがみあってもそれは無駄な抵抗にしかならない。
「墓石に吹き荒れる狂騒のような砂漠を嘆いても、彼に三平方の定理は解けなかった。
確かなことは明日も太陽は昇り、そして落ちることだけだった。」
そんないつまでも続く争いを嘆いてみても今はどうする事も出来ない中で
明日も太陽は昇りそして落ちるという事実だけは確かである
それだけが三平方の定理につながるものかも?
こんなふうに読み取ってみましたが
もしかしたら全然検討外れのコメントかもと疑心暗鬼になりながらコメントさせて頂きました。
上記のように最初のコメントを修正させて頂きました失礼ご容赦くださいますように。
けいとさん、こんばんは。
こちらの作品は、私にとって、非常に難しい内容でした!
三平方の定理上での思考とは、数学的真理で、すべての事象を当てはめて理解しようとすることでしょうか。
以下、自己流の解釈で申し訳ありません ….!
スカンジナビア半島と、ゴビ砂漠という地理的に離れた二つの大地の地図と、a² + b² = c²という抽象的な数式を結びつけようとしても、結びつけようがない。
世界の各地で起こった、いや今も起こっている戦乱は、真理に反して、物事を歪曲し、真理だ、あるいは正義だと決め付けた人間の傲慢が起因しているのではないか。
彼 (主人公)は、戦禍で失った家族や友人の死の不条理を嘆いたが、そのやり場のない気持ちは、定理上の単なる計算規則、数学的真理では、収まりがつかないことを思い知った。
ただ、「太陽は昇り、そして落ちること」だけが、彼自身が理解できた真実だったのか!
ゆめの
コメントありがとうございます。
人間のすることはどれも、あたっているようであり、外れているようでもある。
疑いもないことは少ないように思います。