どんな時にも、どんな意味においても幸福な人間はどこにも存在しない。
僕らは無意識に求めてしまう。
どんな時にも、どんな意味においても幸福でありたいと。
けれども、この不当な要求を神々は聞き入れない。
その罰として僕たちの不幸は出現した。
君は「人生は地獄よりも地獄的だ」と言い放った。
けれども、君は他の誰よりも地獄から遠い存在だった。
君にとって、この世の生活は耐え難いものだったのかもしれない。
けれども、君は服毒することも入水することもなく、一生を終えた。
君はかつて存在した誰よりも神々に近づいた。
君の名は今でも語り継がれている。
けいとさん、こんばんは。
この日本で詩をやる人は皆、日本の文豪達の作品、あるいは現代詩という分野に造形が深いのだと思う。
恥ずかしながら私は、芥川や太宰といった、彼らの作品を親しく読んだとはいえ、彼らの人生観や、実際の生涯に、少しの魅力も、憧れも、感じて来なかった ....。
本当に肌が合わない人たちなんだと思っている。
もしも、ここに、彼らを信奉してる方がいらっしゃったなら、酷い言い方をする私をどうか許してほしい。
作者は、この詩に、生命に関する深いメッセージを秘めたのだと思った。
「君にとって、この世の生活は耐え難いものだったのかもしれない」
服毒し、入水して果てた文豪、芥川龍之介、太宰治が真っ先に思い浮かんだ。
さらに三島由紀夫、川端康成、そして彼らの信奉者達が自裁していった。
しかし、同じ時代の、同じ日本の作家でありながら、 「けれども、君は服毒することも入水することもなく、一生を終えた」人もまた、確かに存在したことを、作者は、私に、私たちに教えてくれている。
私にとっては、日本では、大好きな、あの作家かな? 海外の、あの文豪達かな? など様々に思い浮かべながら、はたと我が胸に手を当て、自分に声をかけずにいられなくなった!
" KENZI、君はどうなんだ? どう生きるんだ? どう死ぬんだ?" と。 『世界でいちばん遠い人』 .... もう少しタイトルに近づきたい、作者の思いを知りたい!
ゆめの
こんにちは、クロエと言います、よろしくお願いします。
とても重い、けれどとても身近なテーマですね、幸不幸は光と影のようなもの、闇が無ければ光を知らず、光が無ければ闇もわからない、人は他人が思うほど幸せでも無ければ不幸でも無い。
多分すべては心の持ちようかな、この詩を読ませていただいてそんな風に感じました。
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わかりました。