ビルの屋上に上り、手すりに足をかけた瞬間、ふと思い出した。自分がまだ太陽も知らないこと、大地も知らないこと。知っているのはただ太陽を見る目と、大地を踏みしめる足だけであったこと。無性に太陽とは何で大地とは何であるかを知りたくなった。生きようかしら。
けいとさん、こんばんは。
死のうと決めて、「ビルの屋上に上り、手すりに足をかけた瞬間、ふと思い出した」
この主人公は、寸前で死を思い留まれたのですね!
いや、神様の御はからいか、何かこの世界の不思議な力かが、この人の命を抱き止めてくれていたのでしょうか。
太陽の運行も、地球という大地が自転と公転の運動を繰り返していることも ….
主人公が、その刹那に思い出したことは、宇宙の真理ではないか?!
彼(彼女)にとって、それはずっと知りたかったこと、いやこの瞬間の、たった今からでもいい、解りたい、知りたい!との、究極の欲求だったのですね。
「生きようかしら」
尽きせぬ真理への欲求が、主人公の生命を丸ごと変換させた瞬間であり、 そうそれは、“新しく生まれた日” だったのですね!
( The "renaissance" that happened within me )
詩に惹かれながらも、半ばそのまま読みになってしまいました ….。
ゆめの
けいとさん
おはようございます
この詩について
これから生まれてくる命…今お腹の中で死んでしまっては…と必死に頑張っている生命体を思い
ました。
今地上のすべての命をはぐくんでいる太陽とは?そして大地とは?
そしてそれらを目と足で確かめてみようと(そこにはまだ見た事のない素敵な世界があるに違いないと)生命体は思った。
そんなふうにして命はこの世の中に生まれてくるのでしょうか。
そしてもっと言えばそんなふうにして命という生命体が誕生しやがて太陽のもと地上に一歩を踏み出すのですのでしょうか。
こう思った時命の神秘を感じたUUXの読後感です。
それとも今ビルの屋上から命を投げ出そうとしたけれども、今もう一度生きるという事の意味(意義)を(それは太陽であったり、自信のふんばっていく足であったり)もう一度原点に返って新たな気持ちで頑張ってみようと思ったのでしょうか?
命とは…その意義とは…そんな思いも伝わってきました。
そして今ある一度しかない命を思いました。
それは生きよう…と思えた…素敵な心を感じました。
コメントありがとうございます。
日々生きるうえでの疑問が、命の瀬戸際で気になることもあると思います。
けいと様、こんばんは
この詩を読ませていただいて深く考えさせられました。
人は日常に流されるとき、太陽も大地も実在のものと認識されていない。ただそこにある、平面的なものになっているように思います。ただ、死を前にしたときにそのものが立体的に命をもって浮かび上がってくるのではないか。その存在を感じることができたときに少し救われるのではないかと。この詩が問いかけてきたことへの私の答えでした。深く考える機会をいただきました。ありがとうございます。